「だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。」(マタイによる福音書 6:34)
「気に入らぬこともあろうに柳かな」という言葉があります。柳は風が吹くと枝をそよがせるだけで、傷ついたり折れたりしません。弱そうに見えますが実は強く、そのしなやかさから相手に逆らわないで身を保つことのたとえですが、そこには健全な楽観主義ともいえるような趣があるように思います。そして、洋の東西を問わず、この健全な楽観主義を思わせる言葉やことわざは思いの外あることを思わされます。
明日は今日とは違った風が吹く、世の中何とかなるもので、先を思い煩うことなく今を十分に楽しめという「明日は明日の風が吹く」はよく知られるところでしょうし、同じ意味の「明日のことは明日案じよ」もあります。スペイン語の「ケセラセラセラ」は、明日は明日の神が守るという意味ですし、ドイツ語にも「にもかかわらず笑う」という言葉があるのだそうです。
どうも人の生には「健全な楽観主義」、「プラス思考」が必要であることを、先人たちは経験を通して受けとめてきたようです。
もちろん、計画を立てて準備することを悪く言うつもりはありませんし、自らの努力を放棄するところの他人任せもよくないでしょう。しかし私自身の拙い経験を振り返ってみても、確かに、腹を立てたときは自分の準備(努力)が報われなかったときだったり、自暴自棄になったときは、自ら善かれと思ってしたことが他者には受け入れられなかったりしたときであったと、今さらながら気づかされます。
人間はパーフェクトではありません。人が人である以上、誰もが欠けのある弱い存在です。おそらく仕事にしろ、人間関係にしろ、自らの思いのままにはならないことの方が圧倒的に多いはずです。にもかかわらず「明日のことを思い煩う」のは、気づかぬうちに、自分の力次第で「世界」は如何様にも「回す」ことができる、という高慢さが心に巣くっているからかも知れません。
「明日のことを思い煩」わないでいられるときは、自らを絶対化しない謙虚な姿勢でいるときなのかも知れません。
牧師 司祭 八 木 正 言
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない。」(マタイによる福音書 7:13-14)
かつて新聞記事で読んだ話です。
最近、各航空会社の頭を悩ませているのは航空燃料の値上がりなのだそうです。そこで某大手航空会社は、一機あたり500㎏を目標に燃料のダイエット中なんだとか。そしてそこで着目されたのが機内食の食器です。
スプーンとフォークの厚さを0.2㎜薄くし、それによって一本あたり約2グラムの減量をします。ファーストクラスやビジネスクラスでは器の質感を味わってもらうために磁器を用いているそうですが(乗ったことがないからわかりません!)、これについても普通のものより2、3割軽い軽量磁器を導入したのだそうです。
なんとも涙ぐましい努力のように思えますが、その「結果」を聴くと涙ぐましい、などとは言えなくなります。こうしたグラム単位の取り組みで1便あたり年間1,000万円、グループ会社全体で約7億円の燃料費節約になるというのです!
大手航空会社の年間の支出規模は莫大なものでしょうから、年間7億円はもしかしたらスズメの涙なのかも知れません。しかし、グラム単位の取り組みが年間7億円の結果を生み出す事実は、やはり見過ごせない事実に違いありません。
たとえば、ダイエットから英語力の学習、掃除用品に至るまで、巷では「即効性」がもてはやされています。それは確かに魅力であり、テレビコマーシャルを見て通販会社に電話注文しよう!と思ったことがある人も少なくないのでないでしょうか。しかし、そんな時代にあっても、ますます「グラム単位の努力が疎かになってはならない」のでは…そう思います。「千里の道も一歩から」、「7億円の節約も0.2㎜から」、忘れずにいたい教訓です。
牧師 司祭 八 木 正 言